2012年07月31日

2012/8/4FM世田谷/農といえるニッポン!/気仙沼 ふかひれのブランドの復興

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ゲストコーナー:
宮城県 気仙沼:復興屋台村気仙沼横丁 うどん みずき/ふかひれの石渡商店 石渡康宏さま
宮城県 気仙沼 ふかひれのブランドの復興に向けて・復興屋台村気仙沼横丁 本手打ちうどん/みずきの紹介

宮城県 気仙沼復興屋台村気仙沼横丁 本手打ちうどんみずき

120804-4.jpgお話を聞かせて頂く、石渡康宏さんの実家は「ふかひれの石渡商店」。津波で工場が被災しましたが、現在、工場再開に向けてお兄さんが頑張っています。

弟の石渡康宏さんは、震災後一念発起し、讃岐うどんの名店で修行。宮城県気仙沼:復興屋台村気仙沼横丁で
本手打ちうどん  みずきで頑張っています。こちらのお店に伺い、まずはうどんを頂きました。

たまご丸ごと天ぷらにしたのは初めてみたのでビックリしました。面白いですね〜。うどんは手打ちということもありおいしい〜。うどんのつゆが薄味なのか個人的にはよかったです。おいしいうどんを頂いてから、石渡商店の話を聞かせて頂きました。

宮城県気仙沼 フカヒレの町の歴史

120804-2.jpg気仙沼では、マグロ、カツオ、サンマが獲れます。魚が獲れない時期に、サメがあがっていました。サメは、カマボコの材料に使われフカヒレ使われていませんでした。

石渡さんのおじいさんが関東の方でフカヒレの仕事をしており、気仙沼からフカヒレを送ってもらっていました。しかし、マグロの尻尾が混ざっていたりするのでクレームをつけに気仙沼へ行きます。そこで見たのは、気仙沼の市場で捨てられていたフカヒレ。それを見た石渡さんのおじいさんが気仙沼でフカヒレの加工の仕事を始めることを決めます。

フカヒレってどうやって出来るの?
フカヒレの工程には2つの方法があるようです。サメからヒレ切って、ヒレをそのまま乾わかす方。こちらは業務用向けだそうです。もう一つは、先ほどと同じ工程の後に皮をむき骨を抜いて乾燥させるやり方。石渡商店は後者の技術を使っています。この工程はスムキという名称で呼ばれています。

スムキ
もともと加工技術がなかったので、皮をついたまま干して料理屋さんに送るのが一般的だったが、石渡商店がひと手間かけて、骨まで取ってすぐに調理できる状態にするために考えて作った技術だそうです。スムキを使ったフカヒレ商品は国内外から高い評価を受けおり、中国からの来賓を迎える政府の晩餐会、天皇即位を祝う宮中晩餐会にも使用されました。

どんな種類のサメのヒレが使われているの?
気仙沼では、ヨシキリサメ、モウカサメ、アオサメ、オナガ鮫、シュモクザメ(別名:ハンマーヘッド・シャーク)が獲れますが、主に使われているのがアオサメ、モウカサメ、ヨシキリサメだそうです。ホオジロ鮫は大きくて有名ですが、1年に1回獲れるか獲れないかぐらい。小さい鮫の方がほとんどのようです。気仙沼では、モウカサメの心臓を刺し身で食べる料理があります。復興屋台村気仙沼横丁で食べることができます。

震災当日の状況
石渡商店が経営している、高台にあるゴルフの練習場で休憩している時に大きな揺れに見舞われます。急いで会社に戻り全員避難してしたことを確認。自分も車に乗り避難しますが渋滞に巻き込まれます。ラジオをつけると女川に津波が到達し、大津波警報が出ていることを知ります。聞いたこともないような警報にただごとではないと思い会社に車を置いて走って逃げました。橋をわたっているときにはすでに足元に水が流れていたそうです。危ないところでした。

石渡商店、フカヒレの町 気仙沼の復興に向けて。
120804-1.jpg上海に出張中だったお兄さんはに会えたのは震災から2日後。お兄さんと二人で話して、お店をもう一度やろうと決め、お父さんに伝えます。気仙沼にあった同業者の方々も、みんな被災して何も出来ない状態。ここで辞めたら、気仙沼、フカヒレの街として頑張って培ってきたものがすべてなくなる。

石渡さんの兄が発起人となり、「フカヒレブランドを守る会」を発足。石渡商店は夏に工場を移転。本工場として完成予定。復興屋台村気仙沼横丁 うどん みずきで、石渡康宏さん、みんなが復興に向けて頑張っています。

posted by 農業研 at 10:59| Comment(0) | 気仙沼仕事創出PJ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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